Vol.44 非常に難解な構造(この回はとても大事)
・どっぺんさんからのお便り②
・エゴと守護霊
・狡猾なエゴ
・高橋英雄さんとのやりとり(白光真宏会・副理事長)
・良心の判別方法
はい こんばんは。どっぺんさんおはようございます。
どっぺんさんがEOの遺骨を飲まれた、食べられたってことで結果のことをお話ししなければいけないんですけれども。
あの、あれですね、ボヘミアの編集長が、御祭舟の編集長ですけれども。今でもあるのかな、前言っていたけれども、これはいいのか悪いのかと聞くと、イエスとかノーで答えてくれるというのは。今でもあります?
かわかつ「最近はやってなかったんですけど、一時期は。今はあまりやってないです」
聞くとあるのかな。今聞ける?
「はい」
じゃあ あなたは守護霊ですかと聞いてみな。
「いいえって言ってます」
おお。正直だな。
なんだろうね。なんだろうねっていうか、じゃそれを、あなたはこの者、要するに編集長のエゴでしょうか?
「違うって。ちょっと入る部分もあるみたいな感じです」
なるほど。その辺はやっぱ君の性格と似てるよね。けっこう正直だよね。
でね、あの、エゴっちゃエゴなのよ。難しいな、すごい。守護霊って僕言ったじゃないですか、守護霊でもあるんですよ。
ここがすごい精神世界の恐いところで、守護霊ってのは主に集合魂から来てるんですよ。集合魂もしくは肉体に関わる先祖霊の集合魂のほうからも来ているのもいるし、ま、集合魂じゃないところからも来てるんだけれども、肉に関わる先祖霊からも来ているし、自分の大元の集合魂からも来てる。
一番まともなのは自分の集合魂から来ているの、これはまあまとも。どうしようもない指導霊というか守護霊もいるんですよ、やっぱり。集合魂自体がどうしようもないから。助けにもなんなくて。逆に助けてくれみたいな感じの指導霊、守護霊もいるんだけど。その場合ですね、本人のエゴを通さないと降りて来れないのよ 。
(※集合魂がやくたたずの場合、本人のエゴを通さないと降りてくることが出来ない)
分かるかなあ、ここが難しいんだけど。エゴがそのすごい強いと指導霊というか、守護霊が降りているのか自分のエゴなのか分からない。混在してしまうということがある。
(※エゴが強いとそれが自分の守護霊なのかエゴなのかわからなくなる(混在してしまう)場合がある)
だから、守護霊なんだけど、エゴでもあるんだよってのは、いま正直にそこのイエスノーの人が答えたけれども。そういうことがあるんだよね。
だから自分がどこまで、特にあなたは若いから、若さゆえの突っ走る。そもそもぼったくりバーに行ったわけでしょう?その次また福生かどっかでその可能性のあるところの個人バーに入ってしまうってこと事態が、なんか違和感を覚えた、僕はね。自分でも後で反省しましたけども、 あのこれは守護霊じゃ無いなという感じがあって。
それはね、若さだけじゃなくて、非常にその修行を積んだ人 、瞑想を積んだ人でも自分のエゴっていうのは段々分からなくなってしまうんですよ。薄く薄くなっていくとそのエゴとの対峙っていうのが難しくなってきて、非常に精妙なエゴっていうか狡猾なエゴっていうか、が育ってきてしまうということもあるんだよね。ここは、難しいね。
(※若いうちもそうだが、修行を積んだ人間もわからなくなってしまう場合がある)
どっぺんさんも本来ならですね、さっき、前回ですね喋ったぐらいの境涯 、どっぺんさんが仰るような境涯にまでもし行ってたんだったらそれはね、ここに聞かなくても自分で分かるんですよ 、どこの段階にいるかとかあるいはバーナデット・ロバーツか。
(※バーナデット・ロバーツ……1931年-2017年 カリフォルニア州生まれのカルメル会州道会の修道女である。無我(無自己)への段階として第一段階を「神と一体」になるワンネス体験であるとし、第二段階の『主体』『対象』『それ自体」が三位一体と認識する1日1回ことで無我へ至るとしている)
この人もそこそこの人なんですけれども、この人もちょっと実存にまでは行ってないですけれども。そこに、その人と全く一緒かどうかっていうのはもっと明確に分かるはずですね。なんて言うんだろ、難しい。
あの方がおられましたよね。白光真宏会の理事長でおられた高橋さんかな。
(※高橋英雄 1954年、白光誌創刊。以来、白光真宏会の編集・出版に従事、編集長、出版局長、副理事長を歴任し、1999年退任)
お便りいただきましたけれども、僕がびっくりしまして、なんかこんなむさいところにわざわざ連絡をいただいて。だって白光真宏会の理事長ですよ、昔から僕も存じ上げてましたから、その方からわざわざメール下さったんですからね。それに対して一応僕も五井先生にこれは伺わなければいけないって。五井先生はもう最近は全然個別の相談とかご返事をなさらないんですけどもやっぱ高橋さんなんでお返事いただきました。
確か厳しかったですね。精進せよと。 厳しいっつうか、高橋先生だから、そういうお言葉降りてきたんだと思うんですけども 普通の人には絶対そういう風に言われないですよね、五井先生は、精進せよなんて。で、それを高橋先生も、はい分かりました、ありがとうございますとそのまま受け入れられてましたよね。受け止めておられました。そこがやっぱ大きさっていうかさすが 理事長というか、五井先生が認められた方だと思ってますけども。
そこですよね、その感じ、丁々発止じゃないけど。
(※丁丁発止……激しく議論し合うさま。また、刀などで激しく音を立てて打ち合うさま)
ああ、やっぱえらいなと思ったんですよ。高橋さん。あんま関わらなかったですけど。あー 勉強になりましたね、僕はね。その五井先生のお言葉と、五井先生から降りてきた言葉と、それを受け止められた高橋さん。あのやりとりは感動ものですよね。
皆さんはちょっと物足りなかったかもしれないけど、僕はすごいなと思いましたね。さすがですという感じでした。
あの感じがなんかちょっと無いんですよね 皆さんに。真剣勝負なんですよ。
だからね。みんな曲がってちゃうの。(※真剣さがなければ曲がっていってしまう)
ちょっとその瞑想ができたり、なんかが聞こえてきたりすると、もう 99%どっかいっちゃうよね。外れちゃうね。
(※瞑想ができたり、あるいは何かが聞こえると99%曲がった方向に行ってしまう)
だから、難しいね。
ま、言うべきことは全部言ってるんで、それで分からなければもうしょうがないっていうところかな 。
この後も色々質問してきていますので、その中でご自分に分かる範囲でいろいろ取捨選択して自分の身につけていただければありがたいと思いますね 。
一番大事なものは、何だろうね、 やっぱり自分の良心に従うってことかな。良心はやっぱり守護霊・指導霊だからね。
(※一番大事な事は自分の良心に従うこと・・・)
そこが分からないと、その良心が本当に良心なのかそうじゃないってのが。違和感があるんですよ、良心、じゃないってなると。これは良心だと思ったら違和感なくすっとこう受け入れられるんだけど 。
(※良心の判別方法。良心は何も違和感なく受け入れられる)
そうじゃなくて、なんかね、世間体とか、自分の、自分はこうありたいとか、自分をよく見せたいとか、こうあったらいいなとかさ、なんか欲望でもないんだけど、そういうごちゃごちゃしたものがちょっとでも、夾雑物というんだけど、そういうのがちょとっとでもあれば、もう良心から外れちゃうんだよね。
(※夾雑物……豆類の中に混じっている種々雑多な異物のことをいい、植物の茎、莢、枯葉、その他雑草種子、石、泥砂、虫などのことです)
だから、厳しいよね。 普通の方は、ああ良心ってこんなものだろうって、それでいいんですよ。それでも構わない。全然。でも境涯がどんどん上がっていったりすると、もう、そこを相当厳しくしないと、ほんとにもう陰始にひきずりこまれちゃうから。怖いというよりも厳しい世界ですよね 。
そこはよくよく重々承知していただきたいと思います。
はい今日はここまで。